斎藤ちさとのウェブログ CHISATO SAITO weblog

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本年もよろしくお願いいたします。
 

遅ればせですが
あけましておめでとうございます。

家人のインフルをもらったか?と危機を感じて医者に駆け込んだところ
私は検査で陽性反応は出なかったのですが、
「予防」と吸引させられた粉薬が効いたのか?
その後、発熱しないもののほぼ家人と同じ症状に苦しみました。
大掃除はパスして食事だけは何とか用意して
寝たり起きたりの年末年始でしたが
普段は見ないテレビを見たり、職場の先輩からお借りした「天上の虹」を読んだり
羊の絵を描くため久しぶりにペンを持ったりしているうちに
ようやく抜けてきました。
(熱出ちゃった方が良かったかも。と今になって)

そろそろ今年はここ数年の成果をまとめたいな。
いやその前にもうちょい足掻きたいかな。
と思っています。
それから春以降に引っ越ししますので、当面はそこをgeppeiの拠点にして
動いていきます。

まだ不確定要素だらけでいろいろと変動しそうですが、こちらでもお知らせや報告
いたしますので、
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年こそ華厳経を読むぞー!!
小学校でワークショップ

「見えてしまうカタチについて」1997年 ギャラリー山口でのインスタレーション 

撮影:長塚秀人


来月に都内の小学校の図工の時間にお邪魔してワークショップを行う予定です。
何をしようかと考えていたところ、
企画のNPOのスタッフさんが私のウェブサイトから1997年に発表した作品のデータを見つけて
くださって、とんとんと影絵をやることになって、17年前の作品に改めて向き合っています。


この作品は1997年に発表しました。

見返すとフォトグラムと米(rice dot drawing)の間をつなぐ作品でした。


タイトルにあるカタチというのは目には見えないけれど私たちの近くに存在していると

伝えられてきているものたち。

世界各地には幽霊とか妖精とか精霊などの存在が伝えられていますが、

欧米で言えば守護天使とか守護霊とか、日本で言うとご先祖様のように、私たちに目には

見えないけれど近くで見ている/見守っている存在のことです。

それらが存在すること自体を信じるか信じないかはそれぞれの信念や価値観に委ねられていて、

人は見えているものがそれ違っていて、、というようなことを考えたくて、

そういう存在に囲まれるような空間を作ったのがこの「見えてしまうカタチについて」でした。


生徒たちと自分のお守り的な存在の影を作って考えてみたいと思います。



一過性のインスタレーションとして作ったので、素材も残っておらず、記録の写真だけですが、

今見返すと、今後の展開のヒントもありそう。


曾祖父の遺品その後
曾祖父が1923年にドイツのライプチヒから持ち帰った美術冊子
『Seemanns Künstlermappen』(ゼーマン社によるアーティストファイル)
を神戸大学の博士課程に在籍している大杉千尋さんが尽力してくださって、
美術史家の宮下規久朗先生が大学の研究室で引き受けてくださることになり、
昨日神戸大学に届けて参りました。

曾祖父は大正8年くらいから神戸大学で、昭和8年から京都大学にも研究室を構え、
最晩年は会津短期大学の創設に尽力した法学者でした。
昭和17年に神戸大学の教壇に立っている写真が残っているので、神戸大学には
少なくとも20年近く関わったのではないかと推測します。
(正確な資料が残っていないので推測ですが。。)

冊子を宮下先生にお渡しした時何とも言えない安堵感がありました。
このゼーマン社の美術冊子には全冊に神戸大学の前身である神戸商業高等学校の研究室の
印が押してあり、元の場所に戻せた。あるべき所に返せたような。
というような。

10数年前、家人の仕事に同行して何度か沖縄に行く機会がありました。
その頃、岡本太郎の「沖縄文化論」を読んで斎場御嶽と久高島に行ったのですが
、どちらも言葉にしがたいエネルギーというか磁場があり
感激した私は久高島の浜辺で珊瑚のかけらを拾って持ち帰ってしまいまして、
しばらくしてから、島からは砂粒1つ持ち帰ってはいけないことを知り
次の年に元の場所に戻しに行ったことがあります。
浜で誰となくに謝りながら、珊瑚を置いた時にどっと安堵したのですが、
その時の感覚や記憶が宮下先生の研究室でがーっと蘇ってきました。

これからあの冊子が若い研究者の方のお役に立ってくれるかどうか何とも
言えませんが、うっすらとした希望を持っていようと思っています。
潮の変わり目

志の近い気の合った人や、信頼出来る人とはいつまでも末永く親しくしていたいと

思っていても、天災地変に遭遇するかのように、びっくりするくらい

人との関係が変わってしまう。

生きていると何年かに一度そんな時がある。


私の場合、今年はそんな年のようで

頼りにしていた人が知らぬうちにプロジェクトを外れてしまったり

、退職されて音信不通になったり、鬼籍に入られたり。

また何年もかけて信頼関係を築いてきた人から信じられない理解しがたい態度や言動を

受けたり。


その度に呆然と立ち尽す。といったことが年明けから続いている。

自分の性格もこの状況を助長しているということはあるけれど、

それにしても不可抗力の何かが働いていると考えざるをえなくなっていて、

ここのところは少々のことでは動じなく受け入れるしかない。

悲しんではいるけど残った人でやりぬくか諦めるしかなく、

やけくそ的に腹が決まるとむしろ清々しい境地にすら思えてきている。


これは流れが変わる予兆なのだと。


今はこの潮時をとにかく受け入れて対処できるところはしないといけないですが、

新しい出会いも、嬉しい再会もぽつぽつあるので希望を持っていたいと思います。

助走
 

久しぶりの更新になってしまいました。
数年前からずっと先延ばしにしていたことを、
この春頃にとうとうこれ以上延ばせないね。
(経済のこと、住居のこと、アトリエのことなど大きな問題が一気に)
となり、それらに対処していたらすっかり時間が経過してしまいました。
いろいろな方に助言も助力もいただいて、(ありがとう!!)
紆余曲折ありましたがようやく道筋がついて、
1年後くらいに住まいも作業場も動くことになる予定です。
今より全てをコンパクトにせざるをえないので、
すでに展覧会の度に恒例行事となってはいますが、
今回は特に人生で何度あるかという規模の断捨離をする予定。
私もバンドウも本当に残したい作品や資料だけを残すつもりです。
それが、難しいのですよね^^;

それはさておき今年の大学の講義もヤマは越えたし、
このあたりである程度なりゆきに任せることにしまして、
そろそろ中断していた事を再開します。
中断中に食花のイベントがあり、そこから得たいろいろも反映できるかな。

ひとまずはリハビリがてら助走としてロケハン!

京都日帰り
 

2/7にオープン予定のザ・リッツカールトン京都の内覧会に参加するため
週末、日帰りで京都に行ってきました。
私の作品も2点入れていただたのですが、
拙作のあるエリアは会員制のとかで、恐らくこの機会を逃したら2度と
見れない(!?)と思ったので。
壁にかかった作品を見たら改めて「嫁に出した」感じわり。
また反省点や今後の改善点も見えたので足を運んで良かったです。
(館内の写真はオープン前なので撮影禁止でした。残念)

とにかく京都は見たいものところが山のようにあって、
本当は1年くらい住みたい。
今回は午前中は動けたので、
二条城といけばなの聖地・六角堂に!
六角堂ようやく行けました!!


二条城の庭園は小堀遠州の作だそうです。池泉庭園の石組みが豪華。
敷地の端に収蔵館があって、狩野探幽の松が展示されていました。

係の人から少し話しを伺ったのですが、
二の丸御殿の障壁画は現在保存のためレプリカと
差し替えられている最中で、今の段階では黒書院と白書院がレプリカへの
差し替わりが完了して、他のところも順次差し替えられ、
最終的にオリジナルが見れるのは、収蔵館のみになるそうなのです。
二条城と言えば、国宝で世界遺産にもなっています。
その評価には障壁画も多分に貢献していると思いますが、それがレプリカとなると
かなりがっかりです。
保存のため仕方ないとはいえ、せめて年に10日でも元の位置に戻して
鑑賞出来るようにするとかしてほしい。なんて思いました。
自然光で見る金箔の貼られた障壁画の魅力は、展覧会場でライティングされた
ものと別次元ですしね。


それからいけばなの聖地・六角堂!

何故六角堂が聖地かと言うと、いけばなの祖は聖徳太子。
太子が六角堂で花を仏前に供えていたのが始まり。
というのが通説になっています。
いっぽう、池田理代子先生の「聖徳太子」には遣隋使から帰国した小野妹子が
「唐土では仏前に花をいけておりました」
と仏の前に花を飾るシーンがあって、小野妹子がいけばなの祖。
というくだりが出てきますが、私も小野妹子が祖説を支持しています。
妹子が太子に教えて、太子がいけるようになったという流れではないかと。
その時代は、仏前に花を供えるというのは花咲き乱れる浄土の表現。ということ
だったようです。

それから花をいける花僧が六角堂に集うようになり、仏前供花から脱却し、
草花で自然や宇宙を象徴する表現がとしていけばながうまれました。
いけばなの成立もまた、ここから始まったのです(池坊)。
このお寺の住職は代々池坊の家元が得度して務めることになっているのだとか。

私の尊敬する池坊専応も500年前ここで花をいけていたのか。。(じーん)


あけましておめでとうございます!
 

旧年中はお世話になりましてありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

2014年が皆様にとって良いお年となりますように!

午って家畜の馬じゃないよねー。とか考えてしまい始めたら
馬を描くことがどうしてもピンとこなくなってしまって、
今年はウマ科の動物のバクにしてみました。
手前のグリーンは造花でスタディしていた画像を重ねています。

視民如傷
 

ずっと造花をいじっていましたが、そろそろいけばなも。。
と思いウォーミングアップを始めました。

実家の遺品整理で、母が大河ドラマ「八重の桜」でも重要な
役どころになっている、山川健次郎さん(曾祖父の恩人らしいです)
の書を見つけたので花を添えてみました。

視民如傷の意味が解らなかったので調べると、
孟子の言葉で
怪我人を見るように慈しみの心で人民を見なさい。
という意味のようです。

いかにも反骨の教育者らしいですね。
不思議なご縁
 

11月の憲政記念館のお仕事では不思議な出会いがありました。
ご一緒した方々は、歴史や民俗学やら学術の匂いのする方が多かったのですが
美術史の方もいらっしゃいました。
聞けば彼女は16世紀ドイツの美術/グリューネ・バルトが専門だそうです。

ドイツ語も堪能ということなので、一昨年発掘した曾祖父の遺品を見ていただくことに。
全巻は無理なので、とりあえず北方系の6作家をお持ちしました。
彼女曰く、グリューネ・バルトは最近まで知られていない謎の画家で、
研究が始まって100年くらいしか経っていないそうなのですが、
ここに収められてる論文は初期の研究のものだそうです。(ほえー)

彼女は開口一番。
これはどこか大学の美術史系の研究室に寄贈してください。と。

貴重なものには違いないけど、
棚にしまっておいて時々私が眺めるだけではもったいないし、
誰かの研究の役に立つならば私が独り占めせずに公開した方が良いと思うので、
実家の母とも相談してゆくゆくは寄贈することになりそうです。
こういう発想はなかったので、専門の人に聞いてみると面白いですね。

不思議なのは、曾祖父は神戸商業大学という学校で長らく教鞭をとった人ですが、
現在の神戸大学です。
そして、今回知り合った彼女はその大学の博士課程に在学中だと、、。

憲政の仕事は曾祖父があの世から仕組んだのか?
と疑いたくなるようなご縁に会いました。


11月は

ひょんなことから今月は、国会議事堂の中にある憲法の資料館憲政記念館で働いています。
ちょうど扱っているテーマが第二次大戦からの再生ということで、
日本国憲法に成立やサンフランシスコ講和条約のあたりで、今の日本の社会を考える
助けになるような内容です。
戦後すぐの歴史って、学校の日本史の授業ではここまでたどり着かない。
ことも多いでしょうし、案外多くの人にとって盲点であったり、
知識が虫食い状態だったりすることが多いのではないでしょうか。
私もご多分に漏れず知らなかったことだらけで、
夜な夜な調べものをしていてやや寝不足気味です。

とはいえ今まで使わなかった脳みその部分を刺激されていて
いい感じのリフレッシュにもなっています。

帝国憲法改正案をここに書き写します。
「朕は、國民の至高の總意に基いて、基本的人権を尊重し、
國民の自由の福祉を永久に確保し、民主主義的傾向の強化に對する一切の障害を除去し、
進んで戦争を抛棄して、世界永遠の平和を希求し、これにより國家再建の礎を固める
ために、國民の自由に表明した意思による憲法の全面的改正を意圖し、
ここに帝國憲法第七十三條によって、帝國憲法の改正案を帝國議會の議に付する。

裕仁

昭和二十一年六月二十日
内閣総理大臣 吉田茂」


日本国憲法は改憲の必要ないですよね。

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