試作や思索 ただのさえずり

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食べて痛かった話

病院生活は点滴も麻酔も初めてなら、下剤も浣腸も初めて経験して、手術にまつわることは自分にとっては珍しいことばかりでした。

特に忘れがたいのは「食べて痛かった」こと。

術後、2日目に重湯が出まして、絶食後の空の内蔵をどろどろの液体が通過していくわけですが、これが凄く痛かった。

重湯が胃に→痛たた!→少し休む→再び重湯→痛い痛い〜っ!→少し休む→重湯(以下繰り返し)

重湯が胃から腸に到達した時も相当痛かったです。
食べて痛いな。という感触は重湯からお粥に変わってからも続き、
ふんわりしたお粥が内臓を通過する時もチクチクとした違和感があり、
4日目に普通食のお米になったあたりから、痛みはなくなりました。
内臓が慣れた。ということでしょうか。

よく漫画なんかで、一週間飲まず食わずでさすらってようやく目的地に着いたら
大歓待の大宴会で、いきなり肉やパンをガツガツ食らって、ワイン飲んで大満足。。
っていう設定のお話。現実には絶対あり得ない。ないない。
最初はスープとかにして徐々に固形物にしないとアンタ死ぬよ。とか思ってしまった。

「食べることが戦い」のような数日を経て4日目。
普通食になって最初のお菜が醤油で煮た温かいお豆腐で、喉から胃に落ちていく時に、
じわ〜っと細胞の隅々まで沁み渡るような感覚を味わいました。
以降、病院のお食事はずっと美味しかったです。
ちなみに術前は不味くはないけど美味しくもないと思って義務的に食べていました。
しかし、術後の絶食を経てからは、身体と食事が拒絶してから調和して行ったように思えます。
楽器のチューニングが合った時のように。

人間の内臓は本来空っぽの管。
そこに異物を通過させつつ取り込むことで生命を維持するのですね。
食べるって身体に異物を入れるのだなぁ。
異物とはもちろん別の生命です。
他者の生命を取り込んで自分の体に組み替えて行くのが生きる。ことなのだと
身体が理解した次第。
人間は空っぽである。という比喩は宗教や思想や精神を語る方面ではよく使われる表現ですが、
これは身体に関してもそうなのだと改めて思いました。