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《池坊専応口伝》 序文
  • 瓶に花をさす事いにしへよりあるとはきゝ侍れど(はべれど),それはうつくしき花をのみ賞して,草木の風興をもわきまへず,只さし生たる計なり。この一流は野山水辺おのづからなる姿を居上にあらはし、花葉をかざり、よろしき面かげをもととし、千祖さし初めより一道世にひろまりて、都鄙のもてあそびとなれる也。草の庵の徒然をも忘れやすると手ずさみに、破瓶古枝を拾い立て、是にむかひてつらつらおもへば、盧山爽湘湖の風景もいたらざればのぞみがたく、瓊樹揺池の絶境もみみにふれて見る事稀也。・・・たゞ小水尺樹をもつて江山数程の勝概(しようがい)をあらはし、暫時頃刻の間に千変万化の佳境をもよおす。さながら仙家の妙術ともいいつべし。

1542年、室町時代に池坊専応が記した口伝の序文です。

この文に関しては数々の研究者が訳していますが、私が見聞きしてきた限りで

大まかにまとめてみます。


花の美しさを見せるだけならわずかな心得があれば誰でもできる。

それを花の美しさや高価な花瓶に頼らず、これを拒否して自然を再構成する。

花の概念から離れた高次元の美をつくり(以下略)

小水尺樹とは、花瓶に満たした少量の水と数種数本の花木を指している。

これだけで江山の絶景に劣らない千変万化の眺めをあらわすのが、立花の妙と

説いている。 ー花僧 池坊専応の生涯 澤田ふじ子ー


すなわち花を立てるとは、単に野山に咲く花木を鑑賞するというのではなく、

「草木の風興」すなわち草木が持つそれ自体の興趣をわきまえ
小水尺樹をもつて江山数程の勝概(しようがい)をあらはす」こと、
換言すればある種の作為による 抽象化、虚構化をはかり、
花の美を再構成することなのだ、と。

ーいけばな展カタログ(東京都江戸博物館)村井康彦ー


池坊専応の登場は、

それまで座敷飾り(インテリアの一部)だった立花(いけばなの根源)が

思想を伴い芸術に昇華した歴史的な転換点でした。


数本の花木を用いて江山の絶景に劣らない眺めを表す事。

いけられた花木が、花や木そのものを離れ(見えず)絶景に劣らない風景、

つまり小宇宙になっていること。

いけられた花を見て、「綺麗な花ですねー」などというのは

恐らく大変な間違い、またはいけた人間の腕が悪い。ということなのですね。


いけられた花は、花であり同時に花でない別の存在を徴すこと。


肝に命じてこれからも花木と向き合ってゆかねば、です。





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