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松岡正剛氏レクチャー@建築家会館2012.03.23
ワタリウム美術館で開催されている重森三玲展の関連イベントで
松岡正剛氏のレクチャー「枯山水」を聞きにいってきました。
その覚え書きを記しておきます。

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庭園とは(神庭・斎庭・市庭)が一体となっているものである。

斎とは祭祀、市とは物々交換をする場のこと。


仏教において、寺院よりも庭が早かった。

彼方からやってきたコンセプト(仏教)に基づいた模型として作られた。

具体的には二河白道を体現する池泉庭園を作り、庭を浄土に見立てた。

典型的なモデルが浄瑠璃寺。


平安末期から鎌倉時代にかけて末法思想が蔓延したことにより、人々の間に

浄土を悠長にイメージしていたら間に合わないので、阿弥陀に迎えにきてもらおう。

(ご来迎)という考え方が流行した。その後、あまりに他力本願なその考え方に待った

をかけるべく出現したのが禅。


中国由来の浄土思想の庭は満々と水をたたえていた(真)

日本の禅の庭は(真)の庭に対抗すべく、ここから水を抜いて岩と砂で(仮)の庭とした。

水のない場所であっても、どこにでも作る事が可能な方法を編み出した。

普段の日常を生きる場所場所を浄土とすべく、水はイマジネーションで感じれば良い。

枯山水は仮山水が語源。中国の庭園は真山水。


浄土庭園が作られた平安時代に書かれた作庭記には「石を組む」ということが既に書いてあり、また、「方形(スクエア)には木を植えるな」とある。

方形の中に木を入れると「困」という字になる(会場笑。

故に、方丈には木を植えず白洲にしてそこで修行すべき。という考えがされていた。


南北朝期になって朝廷が二つに割れた。世の中が不安定になり、人々の間に無礼講や婆娑羅、too much やり過ぎということをやることに世の中がどうなるか?という「過差」という価値観が生まれ、能舞台からは装置が何もなくなり、白洲にすべき方丈の庭

に石が立てられるようになった。


日本文化にはかつて二つのOSで成立していた。

中国<漢詩・真・男>↔日本<春と秋を読む和歌・仮・女> 

それが、歴史上度々「和漢のアワセ」が試みられるようになる。

紀貫之・土佐日記「男がすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」など。

時代を経て、和歌が春秋を詠んだことに対して、「和漢のアワセ」には枯れ野や冬の美しさを称える<冬枯・冷え枯>の表現が出現。室町時代の連歌師心敬が「冷え寂び」と称した。


またこれらの美意識に着目していたのが道元。「冬」という言葉を多く使っている。

茶の湯の創始者と言われる村田珠光の言葉「和漢之さかひをまぎらかす」とある。


日本の美意識には<満足・具足の美><不足・失う・損なふ・事足りぬ・粗相の美>

がある。安土桃山時代に秀吉が築城した大阪城などは、豪華絢爛な天守と極小空間の茶室が共存していたように。


数寄とは数が寄っている状態。日本の多様性を示すものでもある。

作るとは物質を作ることではない。本来物語(ストーリー)を作る事。


中国の宋代の水墨画には2種類ある。

・北宗画:三遠法が駆使された岩山がそそり立つような、全景山水

     三遠法/見上げる視点の高遠・まっすぐ見通す平遠・覗き込む深遠

・南宗画:部分を描いて全体を感じる辺角山水→文人画 日本画のルーツ。


日本に水墨画が輸入されたのは鎌倉末期から室町時代にかけてだが、当時の日本人に北宗画は解りづらいと嫌われて、見た目がソフトな南宗画が輸入され将軍家をはじめとする人々に珍重された。

重森三玲はこのことを批判していて、北宗画の三遠法を取り入れた庭を作ろうと試みた。


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私には今、ちょうど北宗画ブームが来ているので最後に
『キターーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
という感じでしまりました。
元気でましたよ!!

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