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2022個展での「拝見」の問答メモ



「気泡 ケ 藝術」に展示した作品は
築地の勝どき橋付近と豊洲の豊洲大橋からの風景を2期に分けて撮影したものです。
・2018年1~3月
・2021年1~3月(確認したら展示した作品はほとんど3月のもの)

5年築地で働いていたのですが、働き始めの時期がちょうど豊洲に移転するしないで
もめている渦中でした。
そうこうしているうちに汚染土の問題も出たりして、ここまでになったら行けないね。
とスタッフの間で話していたのですが
「来年の秋に無理やり行ってしまうらしいよ」という情報が(なかなか信じられなかった)
2017年の年末でした。
場内がなくなってしまうなら築地を撮っておこうと、年が明けた1月から撮影を開始。
週に3日の非正規の契約だったので、
仕事のない日にカメラと水槽を抱えて改めて築地に通いました。
寒い季節は毎日築地にいた気がします(笑)

この気泡シリーズは光が弱くないと球が綺麗に撮れないので、野外で撮影する時期は
冬から春。
それも天気の良い日ではなく曇りや雨の降る直前など光が拡散しているのが条件。
といっても、家を出る時に曇っていても現場に着いたら晴れていることも多々あり
そんな時は翳ったタイミングを狙います。
勝ち鬨橋の周りは、川の水面の反射と迫って立っているビルのガラスが反射しあって
光が絶妙に拡散しているエリアで、このシリーズの撮影に関してはベストだと言える
光が得られるのが、愛着のある土地である以上に足繁く通った理由です。

また、1・2月と3月は光が全く変わるので同じ場所で同じやり方でも、
違う絵が撮れるのも面白かった。
まさに一期一会の光と言ったところでしょうか。
1、2月は空気が澄んでいて光が鋭く、全体が水色に、
3月は春一番の嵐や黄砂や花粉が飛散して、光が柔らかく霞んだ絵が撮れます。

第2期は2021年で少し時間が開いています。
この間、持病が悪化して手術(2018年10月)したのが思いの外大掛かりで
身体にダメージがあり、2年弱カメラが担げなかったことから
手描きのドローイングで映像を作りました。

2019年の秋に増税が実施され築地から(日本人の)お客さんがザーッと引いて、
直後にコロナ禍がやってきて仕事が休職に、2021年の春に退職となりました。
休めて身体が回復できたのと時間が空いているのを幸いと再び
空になった築地と今度は移転先である豊洲を撮影しました。

2021年撮影分で今回展示したのは3月に撮影したものが多いです。
そして興味深いことに、築地では2018年と同じ場所で撮影していますが、
2021年に撮影したものは霞んでいながら色が鮮やか。
同じ場所、同じ季節、同じ撮り方なのに違うのです。
どうしてだろう?
とずっと思っていましたが、ある写真家の方と話している時に
「コロナ禍の影響では?」
という話になりました。
撮影を行った前年2020年は地球全体で人類の活動が感染症対策で制限されました。
人類が活動しなかったことで、海や山が綺麗になり環境問題が改善されたという
報告があったことは記憶に新しいと思います。

大まかに

・2018年1・2月→水色

・2018年3月→スモーキー、パステル

・2021年3月→スモーキーだが鮮やか

このシリーズは野外では逆光で撮影するので、炭酸の中に混入している
埃が画面に無数に写ります。
その埃をレタッチして消していますので、
かなり手を入れることになるので、真を写す「写真」と呼んで良いか迷うところです。
しかし、コントラストを増幅させているので不思議な色は出てきますが、
私が着色したものではなく、カメラが拾った色です。
合成はしませんし、ない要素を付け加えることはありません。
同じ場所同じ撮りかたで違う色や絵が出てくるのは、
時々の大気や光の変化を捉えていることになるので、
昔の写真の呼び方「光画」という意味であれば気泡シリーズは「写真」である。
と言って良いのでは?と考えを改める機会ともなりました。
「メイド・イン・フチュウ 公開制作の20年」記録


昨年末から今月末まで府中市美術館で開催中の
「メイド・イン・フチュウ 公開制作の20年」
に参加しています。
私は2005年に行った公開制作の動画作品《気泡研究 風景》を上映しています。

そうこうしているうちに感染症の拡大が爆発して2度目の緊急事態宣言が出され、
世の中の動きが不穏であり続けていますが、最初の緊急事態宣言の時とは違って
美術館は慎重に開館を続けています。
現場の方々の真摯さが本当にありがたいです。

会期もあっという間に終盤で、記録撮影をしました。










この作品は、ノートルダム寺院(パリ)・善光寺(長野)・大國魂神社(府中)の3箇所で
採取した色を水泡に変換して、弾けて消えてゆく動画になっています。
公開制作が決まった当初は別のシリーズでお話をいただいたのですが、
夏前くらいに試作した「ノートルダム寺院」を担当の学芸員Kさんと当時の学芸部長Yさんに
お見せしたところ「実験したらいいよ」と背中を押していただいて始まった作品です。
今思い出してもとてもとてもありがたかった。

またこの展覧会には夫のバンドウジロウも2015年に公開制作した《日本国憲法第97条》を展示しており、
奇しくも夫婦の作品が同時に展示されています。
公の空間で一緒に展示できるのは私たちにとっては珍らしいことで不思議です。

TOKYO ART BOOK FAIR2019参加しました



手と花(テトカ)さんのチームに入れて頂いたことで参加できた
TOKYO ART BOOK FAIR2019無事終了しました。
今回はgeppei(バンドウジロウ+斎藤ちさと)としての参加で
私たちの幅が35cmということでバンドウが箱や板を工夫して、
展示台を誂えてくれました。

2012年のフェアには夫のサポートで参加しましたが、自作で参加するのは初めて。
7年前と比べると、国内のブースはめちゃくちゃな造本(褒めてます)がなりを潜め、
蛍光色や特殊印刷を多用したオシャレなデザインが多く良くも悪くも産業化を感じました。
海外からの作家はモノクロではっきりとしたコンセプトを打ち出してきてる
ところが多かった印象です。
今後、自分が作るべき方向について改めて考えることが出来て良い経験でした。


2018年の5月備忘録



先日無事終えました茶の実倶楽部、茶遊会での展示は、
従来の『展覧会」ではなく「非インテリアとしての室礼」ということを考えた試みでした。
このイベントを通して色々と考える機会をいただいたように思います。

まず、基本的にホワイトキューブを想定して制作(と額装)をしてきた経緯がありまして、
茶の実倶楽部の空間がそうでないことから、
このナチュラル系の空間に白い額をかけるのは異物をはめ込むようで当初抵抗がありました。
もしかして作品にとって良くないのではないか?と。
しかし、お茶室の室礼という観点から考えれば、お茶室は当然ホワイトキューブではない。
だったら異物として存在しても良いのではないか。
今回の展示を通して、ある面でホワイトキューブからの呪縛が解けたと思っています。
これは今後に繋がる地味に大きな収穫と言えそうです。
また、茶の実倶楽部の空間にはコントロールできるライトがないので作品を個別にライティング
することができません。
そのことも当初躊躇しましたが、お茶室の光は本来自然光だった。とハタと気付いて
今ままでの展示条件とは違う環境ですが、あえてそれでやってみようと思いました。
日中のイベントということもありますが
ほぼ自然光の空間というのも初めてのことでした。
これに関しては、率直に言えば考慮の必要があり、今後の課題です。

作品の構成に関しては
新茶=煎茶の新年。茶屋の新年。を迎える大切な行事でもありますので、
生命の新しいサイクルということをまず頭に置いて、
茶の樹や葉や花をモチーフにしたカットを骨組みに構成しました。
2009年に作った初期のもの、2010年2014年に制作したもの制作時期も
揃えずバラバラのものを集めて構成するというのも、ずっと試してみたかったことで、
ここにきて、ようやく実現できたと。
個人的にはささやかな試みをいくつか試させてもらえた、改めてありがたい機会でした。

庭巡り
 

先週に昨秋受講した庭園倶楽部で紹介された庭園の中で、「必見」
とされた京都の庭を見てきました。

上の写真は妙心寺の退蔵院・狩野元信作の庭です。
朝6:30の新幹線で9時前に京都着。(JR東海の日帰りパックで2時間タクシー付き)
妙心寺退蔵院→龍安寺→大徳寺大仙院・高桐院→本法寺→銀閣寺→錦小路で
鱧の蒲焼きを買う→南禅寺に行ったけど時間切れ。
という一日でした。

退蔵院はお堂の縁側から見ると、小さな空間にダイナミックな宇宙が凝縮
されているかのような素晴らしい体験。。。
この庭を見ている時にドードォとかゴゥゴォみたいな音が聞こえた気がしていて、
何だろうと考えていました。
枯山水は水がないわけで、ないゆえに自分の脳が勝手に水を連想していたのかも。。


上)退蔵院の杉戸 下)ナマズ

龍安寺と大徳寺では天気なのに雪が降っていて、お庭がキラキラした空間になっていて
感激しました。いつまでも佇んでいたくなる。
ここでもダイナミックな宇宙的な広がりを感じました。
室町時代に成立した枯山水の庭は見る場所があらかた定まって
いて絵画に対峙するような態度や視点でみるのがコツだそうです。
にしても3Dの空間なわけで、その3Dの中に取り込まれるような不思議な体験でした。

(対して江戸時代に成立した大名庭園は回遊式と言ってぐるぐるめぐっていろいろな場所
から見るのだそうです。)



東山から市内。
銀閣寺は全体的に下世話な観光地というか。。。。
個人的に、江戸時代に後付けされた砂盛りの向月台と銀沙灘もハテナ?
と感じました。

本当は銀閣の元ネタになっている西芳寺も見たかったのですが、見学には写経が必要で、私は写経に最低一時間かかるので、今回は泣く泣くあきらめました。
近々必ず訪れたいです。

そもそも何故庭園かというと、太田博太郎著「床の間」に

枯山水といけばなは成立の時期がだいたい重なっていて、枯山水の庭には
花がない。庭から花が消えて床の間に出現したのではないか?

という記述があり、ピンときているのです。


そして昨秋、庭園倶楽部の講義で庭園の植栽といけばなのメソッドには共通項多数
あることがわかりました。

左)天文14年(1545)の奥書をもつ専栄伝書の図中にみえる立花骨法図。枝の名称を「真一・副二・副請三・真隠四・見越・前置・流枝七」と明記してあります。右)進士五十八「日本の庭園」より。

いけばなは植栽の方法を更に圧縮させた感じですね。
↑来週開催するいけばなの会ではこのあたりにも触れるつもりです。

太田博太郎博士の何気なく書かれた一説は、
私に作品のヒントになるインスピレーションを与えてくれています。
庭といけばなの理念をシャッフルさせて美術に組み込んで作品が作れないかと。

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