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水墨画について




2011年頃から気泡シリーズは水墨画(山水図)を参照して画面を作ろうと考えてきました。
偶然撮れた埠頭とビルが水墨画のような画面になっているのを興味深く思ったのがきっかけです。
これを展開させたいと10年考えて試行錯誤してきました。

水墨画にはまったきっかけは2002年に見た雪舟と雪村の展覧会でした。
その後、少しずつチェックを重ねてその後台湾に宋代の范寛の絵画を見に出かけたり、
勉強を積んできましたが、自分で水墨画そのものを描いたことはありませんでした!

そんなタイミングで、
これまた教材作りの研究として、初めて墨を摺って描く機会がありました。
工程に慣れていないこともあり、
一度引いた線は消せないという緊張感となりゆきにまかせるという塩梅が、想像の20倍くらい難しいです。
しかし筆を持つこと自体に喜びを感じるタイプなので、楽しい!
もっと描きたい気持ちが湧いてきます。

水墨画を参照した写真とそこからイメージや構造を水墨画に還元できれば面白いかもしれないですね。
下はお手本を描いたもののボツになった猿の絵(元絵は雪村)

ワークショップについて

事情あり、教育関係の講習を受けています。
その中であれ?と思ったこと、言葉の使い方を捉え直したいことが出てきましたので
メモしておきます。

ワークショップという言葉。
美術分野では「造形ワークショップ」となります。
ワークショップの語源は「作業場・工房」と「講習会・実習」ですが、
造形ワークショップにおいては「あらゆる造形の楽しさをあらゆる人たちが享受するための営み」
を示しており学校教育とは異なる背景を持って登場しています。

学校での美術教育は、美術に関する知識や技術の習得などが重要であって、
それは教育課程に位置付けられ教師による評価の対象となるのですが、造形ワークショップはそうでなくて

・知識や技術の習得や資格の習得を目的としない。
・制作や鑑賞を中心に造形の楽しさを、参加者が場と時間を共有して享受できるための活動をさす。

ということになるそうです。
つまりワークショップは本来純粋に作る楽しさや喜びを享受するためのものであって、
成果物が評価の対象ではないということです。
つまりそこにご利益を期待してはいけないと。
いけないことはないでしょうが、するものではない。ということのようです。
ただし、その手法を取り入れることによりアクティブ・ラーニングの活性化や、
言語活動としての「鑑賞」と非言語活動としての「表現」を循環させる働きが期待されている。
というのが近年造形ワークショップに対する捉え方となります。

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「アクティブ・ラーニング」
2017(平成29)年から注目の集まった言葉で「主体的・対話的で深い学び」と定義される。
この年に文部科学省から発表された学習指導要領において、漢字を暗記する、
計算方法を練習する、コツコツと一人で作業することで基礎・基本を身につけることを
大切にしながらも、
教室の生徒が個々に考えて明確にしたものを他人にも伝えるというアクティブな学びが強調された。
こうした応用的な能力を「思考力・判断力・表現力等」と呼び、
また「学びに向かう力・人間性」も不可欠とし、
この二つと「知識・技能」を合わせて、資質・能力の三つの柱と定義した。
これらの資質・能力を伸ばす方法として主体的で対話的で深い学びがアクティブ・ラーニングとして位置づけられた。

参考資料:高橋陽一『ファシリテーション技法』武蔵野美術大学出版局
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上記のことを踏まえ、前期に行った講義について総括しました。
以下

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私は縁あって農業大学で12年ほど美術に関する講義を担当していて、
毎年の講義時間内に簡単な造形ワークショップを行っている。
シュルレアリスムの作品群を紹介してから、フロッタージュを行うというものだ。
座学であっても手を動かす作業を挟むことで学生の満足度が高い。
また、数年前にこのシンプルな造形ワークショップが文科省から求められている
アクティブ・ラーニングに該当していると教務から喜ばれて、
初めて「アクティブ・ラーニング」という言葉を知った。

今年の遠隔授業は、オンデマンド教材を学生が都合に合わせてダウンロードして
各自学習する方式をとった。
目の前で強制的に授業が展開して行く対面授業とは違い、
遠隔授業では学生が主体的に<参加>の意志を持ち教材を開き、
展開される様々な美術史上の作品について<学習>していく。
授業の補足としてsnsアカウントを開設して学生と交流を試みた。
教材の不具合を指摘されることもあれば、
彼らの生活も垣間見ながら意見や感想を聞けたのは
彼らと授業を<協働>して作り上げたような一面もあり興味深いことであった。
また緊急事態が解除され美術館での展覧会が再開した折には教材に関連した展覧会、
ピーター・ドイグやオラフォー・エリアソン、国立西洋美術館や東京国立近代美術館のコレクション展など、
実際に作品のある空間を<体験>してきた学生が、
特に求めなかったが自発的に報告や感想文を送ってくることもあった。
また、恒例の造形ワークショップはYOU TUBEにアップした動画で自習するか、
リアルタイムの双方向で行うかどちらか選んで参加してもらった。

遠隔授業において、学生と直接対面しない講師は教師というよりはファシリテータに似た存在で、
オンデマンド教材を「媒介」と捉えるならば海後宗臣の定義する教化に近い。

さらに、終盤に創作課題を設定した。ダダのアーティストのコラージュを参照し、
各自が自作のマスク(実用的でないものが望ましい)を作り自撮りした画像を提出してもらった。

また教材での学習を前提に不要不急というテーマでレポートを書くことを求めた。
創作と言葉を使った課題に取り組むことは、言語活動と非言語活動の往還を経ることになり
創造的なイメージが多数作られる結果となった。

最終的に成績をつけるという行為を伴うことで純粋なワークショップではないが、
造形ワークショップの要素を取り入れることで、
講義全体がワークショップに近い性格を帯びて活性化したのは興味深いことであった。 

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偶像崇拝ではない


前回の投稿で少し触れた
内田樹×中田考 両氏の対談「一神教と国家」
少しずつ読んでいます。
なにせイスラーム初心者なもので、解らない事が出て来ると調べたり
するので時間がかかってしまって。。

ハサン中田氏によると、

イスラームでは写真は偶像ではなく、影という判断で、鏡と同じようなもの。

写真は偶像崇拝ではない!なんと!!!
なので、原理主義の元締めと呼ばれるイランではホメイニ師の特大写真を飾ったりするの
だそうです。

「写真は影」

写真の原理は古代ギリシアのアリストテレスが木漏れ日を見て、
光と影の考察を巡らせたのが始まり。と言われていますが、
ギリシアの学問は中世のヨーロッパでは放置されて忘れ去られていました。
そのギリシアの学問をイスラームの人々がアラビア語に訳して保存していたものが、
十字軍の遠征によって、ヨーロッパの人々に再発見された。。
それがルネサンスの契機の1つになっています。

もしもイスラームの人たちがギリシアの学問を保存しなかったら
ヨーロッパは中世のままだったかもしれないわけで、
イスラームの人たちはルネサンスの功労者です。
(だからこそヨーロッパの人々は心中複雑かも?という見方もありますが)

ついで言えば、ルネサンスで航海術や羅針盤が発達しなければ、
室町〜桃山時代にヨーロッパからの文化やキリスト教が日本に入ってくることもなく。
(もちろん大砲や火薬も)
いわゆる戦国時代も全然違ったものだったかもしれず、
南蛮被れといわれた織田信長も地味な奴だったりして?!

それはともかく、イスラームの人たちは偉かった。
私は中世においてギリシアの学問を保存したイスラームの人々に敬意を
持っています。

写真は影。という考え方にめちゃギリシアの匂いがするというか。
とっても面白い!

*画像は近作を整理しているものです。
ワヤン・クリ
 

この写真は1994年に友人と旅行したバリ島で見たワヤン・クリという影絵です。
バリはヒンドゥ教なので、インドの叙事詩ラーマ・ヤーナが影絵で上演されます。
人形は極彩色に彩色されているのですが、影絵はモノクロのビジュアルとして
私たちの目に入ってくるところが、「空/色」を連想できて興味をひかれたのですね。

このワヤン・クリをベースに作ったのが前回投稿の「見えてしまうカタチについて」
でした。
発表時は、クリスチャン・ボルタンスキーの影のインスタレーションと
比較されましたが、私の方はアジアンな世界観から出発しています。


松岡正剛氏レクチャー@建築家会館2012.03.23
ワタリウム美術館で開催されている重森三玲展の関連イベントで
松岡正剛氏のレクチャー「枯山水」を聞きにいってきました。
その覚え書きを記しておきます。

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庭園とは(神庭・斎庭・市庭)が一体となっているものである。

斎とは祭祀、市とは物々交換をする場のこと。


仏教において、寺院よりも庭が早かった。

彼方からやってきたコンセプト(仏教)に基づいた模型として作られた。

具体的には二河白道を体現する池泉庭園を作り、庭を浄土に見立てた。

典型的なモデルが浄瑠璃寺。


平安末期から鎌倉時代にかけて末法思想が蔓延したことにより、人々の間に

浄土を悠長にイメージしていたら間に合わないので、阿弥陀に迎えにきてもらおう。

(ご来迎)という考え方が流行した。その後、あまりに他力本願なその考え方に待った

をかけるべく出現したのが禅。


中国由来の浄土思想の庭は満々と水をたたえていた(真)

日本の禅の庭は(真)の庭に対抗すべく、ここから水を抜いて岩と砂で(仮)の庭とした。

水のない場所であっても、どこにでも作る事が可能な方法を編み出した。

普段の日常を生きる場所場所を浄土とすべく、水はイマジネーションで感じれば良い。

枯山水は仮山水が語源。中国の庭園は真山水。


浄土庭園が作られた平安時代に書かれた作庭記には「石を組む」ということが既に書いてあり、また、「方形(スクエア)には木を植えるな」とある。

方形の中に木を入れると「困」という字になる(会場笑。

故に、方丈には木を植えず白洲にしてそこで修行すべき。という考えがされていた。


南北朝期になって朝廷が二つに割れた。世の中が不安定になり、人々の間に無礼講や婆娑羅、too much やり過ぎということをやることに世の中がどうなるか?という「過差」という価値観が生まれ、能舞台からは装置が何もなくなり、白洲にすべき方丈の庭

に石が立てられるようになった。


日本文化にはかつて二つのOSで成立していた。

中国<漢詩・真・男>↔日本<春と秋を読む和歌・仮・女> 

それが、歴史上度々「和漢のアワセ」が試みられるようになる。

紀貫之・土佐日記「男がすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」など。

時代を経て、和歌が春秋を詠んだことに対して、「和漢のアワセ」には枯れ野や冬の美しさを称える<冬枯・冷え枯>の表現が出現。室町時代の連歌師心敬が「冷え寂び」と称した。


またこれらの美意識に着目していたのが道元。「冬」という言葉を多く使っている。

茶の湯の創始者と言われる村田珠光の言葉「和漢之さかひをまぎらかす」とある。


日本の美意識には<満足・具足の美><不足・失う・損なふ・事足りぬ・粗相の美>

がある。安土桃山時代に秀吉が築城した大阪城などは、豪華絢爛な天守と極小空間の茶室が共存していたように。


数寄とは数が寄っている状態。日本の多様性を示すものでもある。

作るとは物質を作ることではない。本来物語(ストーリー)を作る事。


中国の宋代の水墨画には2種類ある。

・北宗画:三遠法が駆使された岩山がそそり立つような、全景山水

     三遠法/見上げる視点の高遠・まっすぐ見通す平遠・覗き込む深遠

・南宗画:部分を描いて全体を感じる辺角山水→文人画 日本画のルーツ。


日本に水墨画が輸入されたのは鎌倉末期から室町時代にかけてだが、当時の日本人に北宗画は解りづらいと嫌われて、見た目がソフトな南宗画が輸入され将軍家をはじめとする人々に珍重された。

重森三玲はこのことを批判していて、北宗画の三遠法を取り入れた庭を作ろうと試みた。


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私には今、ちょうど北宗画ブームが来ているので最後に
『キターーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
という感じでしまりました。
元気でましたよ!!

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