斎藤ちさとのウェブログ CHISATO SAITO weblog

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役に立たない

ここ何年か公私に渡って、美術とお茶に関わっています。
世の中が実学指向、実益重視ともうしますか、
何かにつけ効能を謳って集客するわけです。

禅がマインドフルネスとなったみたく、人生も仕事もうまくいくように
なるしいいことだらけだよ!(笑)とご利益を解く。

美術で言えば、「アートの力」でみんな繋がって地域もおきるしサイコー!
お茶習い始めてから女子力あがって人生がうまく行きだしました!
自己啓発を目的にアートや茶道を使う感じ?

全部が全部間違いでもないし、別に悪いことでもないのですが、
そもそも明治時代から茶の湯は「茶道」としてお見合い必須のアイテムだったわけですし。
しかしそれでも「効能」を先に謳われてしまうとかなり窮屈だな。
と思う場面にたびたび遭遇します。
茶の湯も美術(アート)も本来遊興や学問であって(学問は究極の遊興ですね)
役に立とうが立つまいが関係ない。という態度です。
むしろ立たないことに本気出すって清々しい。くらいのもの。

役に立った。というのは個々の資質やそれまでの背景にもよるでしょうし、
あくまで副産物だよね?
と思うのは観客にではなく、主に発信する側に対してなのですが。

役に立つか立たないか解らないものに心血を注いでしまうのが、
人間の面白さだし、そこには自由がある。と思うものですから。


煩悩を飲む



茶。
という文字は一〇八という数で出来ているんだよ。知ってるかね?
と接茶仕事に入ったばかりの頃、よく見かけるお客さん(元大学教授らしい?) に聞かれた。

草冠は十が二つ。八、十、八。
88は八十八夜でそれに20足すと百八。
一〇八はあらゆる煩悩を表す数で(除夜の鐘でつきますね) その数を飲み込むのは、煩悩を飲んでしまうことになる。と。

お茶を飲む。というのは煩悩を飲み込むことになり、つまり喫茶という行為は悟りに近づくことなのだ。って。

来年の展覧会はこんなことをぐじぐじと考えて出来たものになりそうです。
最近あの爺様にお会いしてないけど達者でおられるかしら。

びじゅつの欠片テキスト
びじゅつの欠片

この作品はInstagramに投稿した画像、言葉、また投稿画像の情報を極限まで
減らし版におこして刷った版画の集積による。

人間として生きているといつも何か欠けていて全てを満たすことは出来ない。
私たちには子どもがいない。
私たちというのはわたくしと夫の間のことで理由はあるがない。とにかくいない。
今言えることはただそれだけだ。

子どもがなく、社会における子育てに如何に参加することが可能か?

と、考えると、教育だとか地域貢献とか孤独感に悩みながら子育てしているお母さんたちを威嚇しないように。
とか、か、な。非常に陳腐ではあるけれど、これらの要件を満たすことは可能。
しかしその人、子どもたちに対する保護者としての責任はなく、良くも悪くも結局傍観するしかない。

そのような立場で子育てやそれと美術の関係について語ることは本来おこがましい。とは思いつつ。
私が出来ることはと言えば、次の時代を生きる人々に有形無形の何かを残して伝える。
また残そうとする意志を持つ。ということくらいだ。

インターネットが出現して以来、様々なデータがネット上に浮遊していて、
例えば誰かが亡くなってもその人のSNSのアカウントは墓標のように残っていたりする現象を興味深く見ている。

私たち美術家は実体としての作品を残すことができるけど、亡くなった後の作品管理は私たちの手の外にある。
さらに時間を経て残すかどうか決めるのは未来の人々。
例えば100年後、今回制作した版画、Instagramのアカウント。
どちらかが残っているか、どちらもなくなってしまっているかもしれないし、どちらも残っているかもしれない。
今の私には判断がつかない。

世界から「美術」という領域が消滅している可能性すらあるのだから。
この作品では、2015年秋からInstagramのアカウントに美術の与太話を100年後の人々をイメージして投げる ことから始めた。
一人の人間がフォローできる範囲は限られていて、全体から見ると断片のさらに欠片くらいの情報量だけど。

それでもやっぱり美術は面白いものだから、未来の人たちもいろいろ見れたらいいよね。
とささやかな希望を込めて。
作品について
photo by jiro bando

セゾンアートショップでの展示オープン直後にスタッフの方から作品について質問を
いただきました。
考えをまとめる良い機会でしたのでこちらにもアップしておきます。

点描シリーズについて:
点描を使うアイディアは、河合準雄氏と中沢新一氏の対談から着想を得て1998年から展開してきました。
仏教の教典と素粒子論などの科学には共通する世界観があり、一見関わりのなさそうな世界が実は深いところでつながっているという事実に興味を感じます。その共通する世界こそが、
「世界は点あるいは粒子で表される」というものでした。
この考えを通して制作を始めたのが点描シリーズです。

気泡シリーズは3番になります。
気泡は現代をせわしく生きる私たちの姿と重ね合わせています。
現代人の精神(泡に喩えています)を通して見た世界。という考えですが、
「世界」には、現実の風景と花で喩えた風景(いけばな)を設定しています。



いけばなを背景に据えたものは、自然と人間の関係について考えたく撮っています。

3年前の原発事故で私の住んでいるエリアがホットスポットとなり国の災害地域認定を受けました。市が除染にきましたが全く効果がありません。
クリスマスローズは汚染された庭で咲いたものを撮っていて
、花が植わっているところは今でも0.4マイクロシーベルトの線量があります。

カメラでとらえるとそんな事は全くわからないですが。。

それ以外の花は普通に花屋さんで買っていて、最近では造花も使っています。


それから泡を使うことに関しては、17世紀のオランダの静物画にヴァニタスというジャンルがありますが、シャボン玉を描いた「ホモ・ブラ(泡としての人間)」という定番モチーフがあります。
日本美術に大きな影響を与えた中国の北宋・南宋の水墨画が考案した空間を参照しつつ、

ディジタル写真によって可能になった技術を使って、ヴァニタスの21世紀ヴァージョンを作ろうと試みています。

近藤幸夫さんの訃報
一昨日の夜、twitterで慶應義塾大学の近藤幸夫先生が2月14日に亡くなったこと
を知りました。
あまりにも突然のことで昨日は一日頭が回らない状態でした。

近藤さんは2000年くらいから(米粒でドローイングをしていた頃)作品を見て
くださって、その後の展開も大らかに見守ってくださった方です。
2007年にアート・バイ・ゼロックスで展覧会をする時には、
サバチカルでパリに行こうとする近藤さんに、無理言ってお願いしてテキストを書いて
いただいたこともあり、展覧会は早めに帰国して見てくださいました。

その後もずっと応援してくださってとても有り難かった。

下に2007年に書いていただいたテキストをペーストします。

私も向こうにいった時に、あれからこれ作ったんですよ!と報告できるように
もう少し頑張ります。
ありがとうございました。
ゆっくりお休みください。

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  作家とは多かれ少なかれあるひとつのヴィジョンへと向かって制作していくものでは
ないかと思うことが多い。しかし、最初からそれに気がつくことは少ないようだ。作品を制作していく過程で徐々に明確になっていくもののようだ。齊藤ちさとにとっての「きらきらと輝く粒子」もそれにあたる。

 このテキストを書いている時点で私は今回のABXで展示される齊藤の作品をみてはいない。しかし、事前におこなったインタビューのなかで齊藤は2005年の府中市美術館の公開制作で発表した「気泡」作品の延長上にあるような作品を出したいと言っていたと思う。府中で発表した「気泡」作品とは炭酸水の泡を描写したアニメーションであった。手描きアニメーションという膨大な労力を費やして齊藤はなぜこのイメージを実現したかったのだろうか。齊藤が「気泡」を発見するのは、その年の5月のパリだという。カフェのテーブルで、初夏の明るい光を受けたコップのなかできらきらと光りながら立ち上る無数の泡に齊藤は魅せられ、自分の追い求めていたヴィジョンはこれだと思った。

 もともと齊藤は透明なビニールシートに米を貼り付けて様々なイメージを作る作家として知られていた。齊藤によれば、このような米の作品を作るきっかけとなったのは、中沢新一と河合隼雄の対談「ブッダの夢」を読んだことだという。世界は点でできているというチベット仏教の考え方と最新の素粒子理論に共通する部分があることに興味をもった齊藤は、まずこの世界観を米粒を使った作品で具体化してみようと考える。歯など身体の一部から始まり、トイレや下着といった身体と接するもの、雲、飛行機、日常的な室内などといったように、自分の体から世界が広がっていくような様々なイメージが米粒によって描かれた。しかし、このような具体的なイメージは齊藤の求めていたものとは少し違っていたようだ。特に米という様々な意味性が纏わりついた素材を使うことにも抵抗があった。米という素材はともすればアジア的なもの、エキゾティックなものと解釈されかねない。

 2000年前後に齊藤はいちど米の作品からはなれる。替わって登場するのがクローバーのシリーズである。この作品は、日記を付けるように毎日単純なクローバー形を水彩で描き続けることから始まり、次にその上に透明なビニールシートをおいてトレースするようにひとつひとつのクローバーを丁寧にカッターで切り抜く。それぞれの形が微妙に異なるビニールのクローバーはインスタレーションとして使われ、切り抜いた後のビニールシートも写真作品に使われた。床面に並べられた無数のクローバーはきらきらと太陽の光線受けて輝く。無数のクローバー形が切り抜かれたビニールシートを通してみる景色は、ちょうど炭酸水の入ったコップ越しにみる景色と同じようにきらきらとした粒子に包まれる。

 このように齊藤の作品は、具体的なイメージの描写が徐々に「きらきらと輝く粒子」に包まれた世界といった明確なヴィジョンへと純化されていく過程とみることができる。齊藤の作品をみていると、平凡な日常のふとした発見のなかに深遠な世界への入り口が潜んでいることを私たちに教えてくれているように思われてならない。

(近藤幸夫 慶応義塾大学助教授)

虹展テキスト
現在参加している府中市美術館「虹の彼方」展のドキュメントに載せるテキストを
書きました。

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 前衛は日常だった話


前衛芸術とは離れてしまった生活や現実と芸術を結び直す試み。


「芸術の自律性が目指されるにつれて、美術は、生命や社会からどんどん遊離していくことになります。

そうすると、美術は、どんどん先鋭的になってゆきますけど、一方で、表現を支える生命力や社会的な力が衰退してゆくことになる。

美術がどんどん痩せ細っていく。

するとそこに危機意識が生まれます、

そして、美術をもう一度、生命や社会の現実に関係づけようという企てが生まれる。

それがアヴァンギャルドであるわけです。(以下略)」

(三頭谷鷹史著「前衛いけばなの時代」P264*より三頭谷鷹史と北澤憲昭の対談中の

北澤憲昭氏のコメント)


祖母は前衛いけばなの師匠でした。

私は物心ついたころから、草月会館やデパートで催される展覧会に連れられて、

草月会館のロビーに設置されたイサムノグチの「天国」で階段を上り降りして遊んだ記憶が残っています。


草月流という祖母の属した流派は、現代美術といけばなのミクスチャーを目指して

新しい地平を作ろうとしたしたところがあり、祖母の家の教室は習作のコラージュやオブジェで溢れていて、いけばなと現代美術を同じ目線で見て行くのは私にとって子どもの頃からごく自然なことでした。

彼女は6、70年代に草月会館で行われたハプニングやイベントもいくつか目撃していたらしいし、草月流には勅使河原蒼風家元のほかにも、土門拳や飯田善国、朝倉摂・響子姉妹を始めとする大御所が講師に名を連ねていて、このオブジェはね、○○先生に○○って言われたのよ。といった話は普段の生活の中で交わされたことで、美術といけばなに大きな境はなく、大学に通う傍ら金曜の夜は祖母の教室に紛れ込んで稽古をつけてもらっていたのが学生だった私の日常でした。


祖母は繰り返し言っていました。

「古いもの、伝統、古典は退屈でつまらない」

いけばなの古い歴史を学ぶ必要はないし、古い型を継承している流派は面白くない。

新しいものだけが素晴らしい。現代だけに価値がある。

イッセイ・ミヤケのパンツを履き、煙草の煙をプワーと吐いて

<今は戦争も終わったし平和で自由の時代だからね>と。

前衛芸術はそういうこと。私は理解したつもりになって、不覚にも日常と芸術を関係づけようとする動機があったと、その時は気づかなかったのです。

また20代半ばに知った前衛芸術家たちの作品は等身大の日常性も伝統も何もかもを食い破るエネルギーに満ちていて、「前衛芸術」とは古きを否定し新しさを求める反伝統芸術運動なのだと、ますます思い込んでしまっていました。

その後祖母は亡くなって、私は前衛いけばなから遠ざかりました。


紆余曲折あり5年ほど前に自分の足元を見直してみようと思い立ち、初めていけばなの成り立ちや歴史を調べ始めました。そうするうちに、いけばなの成立時に庭園との興味深い呼応関係を見つけて、それが今の主要なモチーフとなっています。

最近、先に引用した三頭谷鷹史氏の著書「前衛いけばなの時代」を読み、

前衛芸術は近代になって芸術が先鋭的になりすぎてあまりに日常から遠くなってしまったことに対する反省から生まれた。と遅ればせ解りました。

前衛芸術が反省して起きたなら、不覚だった孫世代の自分は違ったかたちの反省で返礼したいと思う次第。


ところで、

室町から安土桃山時代にかけて千利休の目指した茶の湯「侘び茶」

「侘び」というのは本当は立派な唐物を揃えてもてなしをしたいのだけど、

とりあえず今はこんなものしかない。

あなたに申し訳ない。といった詫びる心を表しているとか。


昨年の福島第一原発の事故により地球上に放射能をまき散らしてしまった今、日常はゆらぎ続けるものだとはっきりした今、本当に<今は戦争も終わったし平和で自由の時代だからね>だったのか疑わしく思える今、かつて乱世に生まれた「侘びる」について再考してゆくことを面白く思っています。


*三頭谷鷹史著「前衛いけばなの時代」美学出版



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《池坊専応口伝》 序文
  • 瓶に花をさす事いにしへよりあるとはきゝ侍れど(はべれど),それはうつくしき花をのみ賞して,草木の風興をもわきまへず,只さし生たる計なり。この一流は野山水辺おのづからなる姿を居上にあらはし、花葉をかざり、よろしき面かげをもととし、千祖さし初めより一道世にひろまりて、都鄙のもてあそびとなれる也。草の庵の徒然をも忘れやすると手ずさみに、破瓶古枝を拾い立て、是にむかひてつらつらおもへば、盧山爽湘湖の風景もいたらざればのぞみがたく、瓊樹揺池の絶境もみみにふれて見る事稀也。・・・たゞ小水尺樹をもつて江山数程の勝概(しようがい)をあらはし、暫時頃刻の間に千変万化の佳境をもよおす。さながら仙家の妙術ともいいつべし。

1542年、室町時代に池坊専応が記した口伝の序文です。

この文に関しては数々の研究者が訳していますが、私が見聞きしてきた限りで

大まかにまとめてみます。


花の美しさを見せるだけならわずかな心得があれば誰でもできる。

それを花の美しさや高価な花瓶に頼らず、これを拒否して自然を再構成する。

花の概念から離れた高次元の美をつくり(以下略)

小水尺樹とは、花瓶に満たした少量の水と数種数本の花木を指している。

これだけで江山の絶景に劣らない千変万化の眺めをあらわすのが、立花の妙と

説いている。 ー花僧 池坊専応の生涯 澤田ふじ子ー


すなわち花を立てるとは、単に野山に咲く花木を鑑賞するというのではなく、

「草木の風興」すなわち草木が持つそれ自体の興趣をわきまえ
小水尺樹をもつて江山数程の勝概(しようがい)をあらはす」こと、
換言すればある種の作為による 抽象化、虚構化をはかり、
花の美を再構成することなのだ、と。

ーいけばな展カタログ(東京都江戸博物館)村井康彦ー


池坊専応の登場は、

それまで座敷飾り(インテリアの一部)だった立花(いけばなの根源)が

思想を伴い芸術に昇華した歴史的な転換点でした。


数本の花木を用いて江山の絶景に劣らない眺めを表す事。

いけられた花木が、花や木そのものを離れ(見えず)絶景に劣らない風景、

つまり小宇宙になっていること。

いけられた花を見て、「綺麗な花ですねー」などというのは

恐らく大変な間違い、またはいけた人間の腕が悪い。ということなのですね。


いけられた花は、花であり同時に花でない別の存在を徴すこと。


肝に命じてこれからも花木と向き合ってゆかねば、です。





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ドキュメント用テキスト

松戸市立博物館で明日より展示の展覧会ドキュメントに添えるテキストを書きました。

今月末に発行予定だそうです。


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10数年前より「世界は点で表せられる」という仏教にも素粒子論にも通底する考え方に

魅力を感じ、この言葉からインスパイアされて作品を作ってきました。

数年前からは気泡をモチーフに据えています。


炭酸水の気泡は本来無色透明の泡ですが、周囲の環境をカラフルに反映しながら揮発していきます。

人も生まれてから、言語を学び、教育を受け、周囲の環境に影響されながら人間となる。

人間は泡のようで泡は人間のよう。


そこでカメラの前に炭酸水を置いて、気泡のフィルターを通して肉眼で捉えられる視点から少し

飛んでみましょう。


今回、写真では花を、映像では橋を行き交う人々の流れを背景に選びました。

6万年前にネアンデルタール人が墓地に大量の花を播いていたことが、花と人の付き合いの始まりと

言われています。

ラスコーの洞窟壁画が1,5000年ほど前ですから、それよりはるかに古い歴史です。

以降人類は旅立ちの時、病める時、喜びの時、哀しみの時あらゆる場面で花と供に歩んできました。


特に日本には、聖徳太子や空海が仏前に花を供え、室町時代にいけばなという芸術を生み出した歴史があります。そういった歴史を踏まえると、100年前に堀江正章が千葉大園芸学部の温室の花を描くため松戸に通っていたということも、その流れの一部のように感じられるのです。


モチーフに選んだギボウシは、20年前に亡くなった千葉大園芸学部出身の祖父が庭に残したものですが、震災を経て今年も健気に咲いてくれました。


3.11以降東葛地域はホットスポットと呼ばれる線量の高いエリアとなってしまいました。

あれからこの地域の人の反応は多様で、移住した人、残って工夫して暮らそうとする人、無視する人、なかった事にする人。静かな分断があります。

映像の方は、東京と千葉の間を繋ぐ葛飾橋を震災以前と表面上は変わらず行き交う人々や交通の流れを気泡の動きと重ねています。

この変哲ない風景も簡単に失われる可能性の上に存在していることを受け止めながら。