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八重の桜と進撃の巨人
 2013年の収穫は何と言っても進撃の巨人でした。


既に大ヒットを記録しているこの物語は

今年の農大の講義を通じて、男子学生数人に作文を通して教えてもらいました。

成績をつけるにあたって、フロッタージュ(制作)以外に

今年は講義中にクイズや作文を導入してみたのですが、

最終回の作文で「自由」について書いてもらいました。


「FREE」ではなく「LIBERAL」の自由です。

私の担当は教養科目の1つで、教養と言えばリベラルアーツから来て

いるので、若い人の自由観を聞いてみたのです。

しかし解釈が難しかったのか、大半の人は「自分勝手」について書いていましたが、

それでも自分なりにLiberalについて思うところを書いていた人も一定数あり、

「進撃の巨人」の物語を引用している学生さんが3人ほどいました。

興味が湧いて、アニメから入ってコミックを全巻揃えて読んだのです。


人類は人食い巨人から命を守るために巨大な壁を築き、

100年の歳月を安寧のうちに平和ボケのように過ごしています。

845年、その壁があることをきっかけに破られ

再び人類は巨人に食われる恐怖と戦いながら、知恵や勇気を持って

立ち向かっていく。

主人公の少年たちは状況に抗いながら巨人を倒す訓練を積み、

知性によって巨人の秘密を明かすことに挑み、それが人類が生き残る希望。


というのが大まかなストーリーですが、そこに描かれる人々は

まるで原発安全神話を信じて生きて来た私たちのようなのです。

さらに最新号で巨人は実は何らかの理由で巨人に変えられ操られている人間だという

ことが明らかになりつつあり。

巨人に人間が食われるという状況はれっきとした人災だったことが判明。

つまり人類は人災によって苦しみ、その人災から目を逸らす安寧を生きているのだと。

その状況を打開しようと足掻く主人公を中心とする兵士たちの苦闘が描かれています。

時代設定が中世なのも興味深いです。

今また暗黒の香り漂う世の中が到来しつつありますから。


それから、大河ドラマの八重の桜。

昨年の大河の「平清盛」が武士の始まりを描いて、八重さんは武士の終わりの世を描いて

いましたが、

私個人にとって示唆をいただいたものとなりました。

(2012年度の平清盛も大好きな作品です。)


私の実家の4代前の先祖はまさに京都守護職から戊辰戦争を戦い、敗北して何もかも

失ったところから立ち上がってきました。

私の祖父母の代まで敗戦の恨みつらみは尋常ではなく、

お正月に親戚が集まると「薩摩長州許すまじ」の大合唱が始まります。

私はこれが大嫌いで、その場から立ち去って、耳を塞ぎ、

幕末の歴史にも目をつむってきました。

しかし、3年前父が亡くなってから会津若松のお寺に通うようになり、知らないでは済

まされない場面が増えて。

のタイミングの大河ドラマでした。


高祖父は会津藩士ですが、高祖母は京都の人。

守護職時代にナンパしたらしいのですが、戊辰戦争が始まるよっていうタイミングで会津に

「来ちゃった♡」

京女の根性はんぱないですね。そんなこともあり、会津も京都もご縁があるし、

せっかくなので新島八重の伝記を買って読んだり、ネットで知らない事を調べたりしていくうちに

いろいろなことが見えてきて、あと回しにしていた宿題をようやく終わらせたというか

身体のどこかが詰まっていたのがすっきり通ったような気がしています。


TVがないこともあり、前半の籠城線が始まるところまではあまり見ていなかったので、

初回から鳥羽伏見の戦いの直前くらいまではDVDが出たのでツタヤで借りてきて見ました。

(そこから籠城線までは来年発売のDVDで見直します)

特に印象に残っているのは佐久間象山の

「新しいことをやるときは、何もしない奴が必ず邪魔をする。蹴散らして前へ進め」

といった言葉。象山先生の塾にナポレオンの肖像画がかかっていたのも

近代や民主社会の到来を予感させるようで象徴的でした。


後半は

学問や教養が人々の救済となる。

というメッセージが軸になっていて、大学設立への格闘が描かれていましたが、

とにかく、新島襄の魂が乗り移っているのじゃないか?

と思ったくらいにオダギリジョーの新島襄が凄かった。


「国の思い通りに動く人間ではなく、国家権力にもひるまずもの申す、

抵抗できうるような、自律した人材を育てる。」

と新島襄が何度か繰り返していたのが印象に残っています。

それが私立大学の意義なのかと。

その襄の愛弟子であった徳富蘇峰が、後に

「愛国心」を軸に第二次大戦に至るまで大本営発表を担っていくわけですから

人間とはままならない。難しさを抱えているのだと考えさせられます。

またその時代背景が解ることによって、明治期の美術についても改めて考え直す

機会になっています。



時代劇とコミック。

なんの関係もなさそうな2作品ですが双方とも

故郷や家族を奪われた人間が学び考え、そして行動することによって、

負の経験を乗り越えて

再生していこうとする物語となっています。

知と勇気を武器に絶望から立ち上がれ。

というメッセージが通底している。


秘密保護法や共謀罪、それでも原発は安全だと言い切る政治家やその支持者は

さぞかし面白くないでしょうね。

Bhagawan Ramana Maharshi rare video

先日も書いてしまいましたが
目の保養とさせていただいている聖人は皆前時代以前の方々 なので、
写真が残っているのがやっと。
と思いきやラマナ・マハルシの映像がYOU TUBEにありました*+。('∀'*)*+

 

感激。。。
彼は1950年に亡くなっているのでギリギリ映像があったのでしょう。

昨年、カルティエ・ブレッソンのドキュメントDVDを見ていて、
バグワンの亡くなる前日にカルティエ・ブレッソンが撮影に訪れていたことを知りました。
入滅や葬式に居合わせたのだそうです。

ラマナ・マハルシ×カルティエ・ブレッソン

この組み合わせはまさしくネ申の恩寵!
彼やラーマ・クリシュナは言葉を超えて真理に到達せよ。
と解脱への道を説いています。
インドの聖人たちの言葉を理解したくて「バガヴァット・ギータ」
や、アーユル・ヴェーダ関係の本を読んでいた時期があります。
「ヴァガバット・ギータ」は今でも時々読み返しています。

いわゆるスピリチュアル系の人と話していると、
とにかく勉強は無駄で、生まれたままのピュアな姿が正しい。
という主張を度々聞きます。

私はこの考え方に懐疑的で、
言葉を超えるには、
まず越えるべき言葉に触れることが大切なのではないか。
と考えています。

それにしてもまたカルティエ・ブレッソンのDVD借りてこよう!(ツタヤにあるよ)

(ア)イコン
 
イエス・キリスト

仏陀

プラトン

アッシジの聖フランチェスコ

ラーマ・クリシュナ

スワミ・ヴィヴェカーナンダ

ラマナ・マハルシ

マキシミリアン・コルベ

世界のあらゆる宗教的な教えに興味があります。
福音を説く聖人の姿を目にすると
とても幸せな気持ちになります。
もちろん彼らの言葉は甘いものではありませんが、
その言葉に触れると本質的な生命力が湧いてきます。
(プラトンだけ哲学者です)
ここ数日余震酔い気味なので、聖人酔いで中和!!

特に最後のコルベ神父
小学校〜高校の授業(カトリックだったので聖書&聖人列伝三昧)で知った彼の生き方。
ナチスに拘束され命を奪われても、心は神とともにある。
その喜びを感じる事は自由だ。

キリスト教の聖人が多かれ少なかれ共通してこういう言葉を残しています。
体は不自由であっても精神の自由は可能なのだ。

このことは、今でも私の幸福観の基礎になっています。

*画像は wikiから拝借しました。