昨年から講義の仕事をいただいていますが、
もともと制作をする視点から美術史を見ていますので、
足りない部分が沢山あるという自覚があります。
聞いてくださる方になるべく核心が伝わるように、私の方も勉強しているのですが、
白状すると、私にとっても一緒に学ぶチャンスなのです。
何よりも重要なのは、研究者の方がやらない、
作家ならではの切り口で先人たちの精神を伝えたい。
それにしても大変なことではありますが、とても豊かな経験になっています。
美術史をおさらいする度に、新たな発見。やら、ようやく解った。やら
いろいろな効能がついてきます。
特に、何となく良いと思う、、、。の何となくモヤモヤが判明したりすると、
人生が明るくなり、夜よく眠れるようになります。
肌の調子も良くなるし、目の下のクマも気にならなくなります。
20代のころは全然分かってませんでしたが、勉強って楽しい。
今回の収穫はセザンヌとロバート・モリスでした。
セザンヌは、ザン・ヴィクトワール山のシリーズはベスト10に入るくらい好きな作品ですが、
静物(有名なリンゴのとか)は何となく良いのだろう。程度でした。
最近写真を撮っていることも重なって、構図についてはいろいろ研究中ですが、
改めて見てみると、セザンヌの構図使いはすごかった。
セザンヌの時代以前に描かれた静物画は、水平の面に横並びに収まっているのですが、
セザンヌはちょっと斜めにフレームをひねってあります。
あの時代にしてみたら超革新的な試みだったのだろうと思います。
写真を撮っていて、イメージカット的に撮る場合。
セザンヌ方式はすごく有効です。
写真家にセザンヌ好きが多い理由が改めて納得できました。
ロバート・モリスは、2000年か2001年に千葉市美術館で「ミニマル・マキシマム」
というミニマル・アートの展覧会を見て、一目惚れした作家です。
立方体の側面に鏡が張ってあって、周りの環境が全部写るようになっています。
私はこの時は単純に展示空間の美しさに感動していました。
モリスはダンス・カンパニーの舞台装置制作に携わって、
「直立と横臥」という身体の根本的な動きを制作の軸に据えている作家であると知りました。
人間という存在を極限まで切り詰めて考えている作家。だと今更理解したわけです。
そのように考えると、一目惚れの直感が確信に変わってきます。
私的な考えですが、人は空っぽの管のようなものだと捉えています。
周囲の環境を反映する生き物であると、、。
人間は生まれながらに素晴らしい存在なのではなく、
素晴らしさを身につけて素晴らしくなっていくと思うのです。
周囲の影響を受けて、学習して、カスタマイズによって初めて人間になる。
対して、自分らしく。私らしく、○○らしくというのは誰かの作った妄想ですから、
「自分探し」というのは無駄だと考えてしまいます。
ロバートモリスの作品から、拙の考えに近いメッセージが今回初めて読み取れました。
モリスはランドアートも手がけていますが、
こちらはまだ素敵!という段階。解読中です。