祖母は前衛いけばなの師匠でした。
私は物心ついたころから、草月会館などの展覧会を連れまわされ、
多分最初に見たアート作品は草月会館のロビーに設置された
イサムノグチの「天国」で、上ったり降りたりして遊んだ記憶が残っています。
祖母の属した草月流という流派は、現代美術といけばなのミクスチャーを目指して
新しい地平を作ろうとしたしたところがあり、いけばなと現代美術を同じ目線で見て行く
というのは私にとって幼少の頃から自然な行為でした。
彼女は60〜70年代にかけて草月会館で行われたハプニングやイベントもいくつか目撃
していたし、勅使河原蒼風家元のほかにも、
スキルアップのための講座の講師が、土門拳や飯田善国、朝倉摂・響子姉妹を始めとする
ビッグネームばかりで、話を聞くのはとても面白かった。
また私の現代美術(90年代くらいまでの)の知識は、大学の講義ではなく
草月流が発行している「草月」に連載されている中原佑介氏や安斎重男氏、篠田達美氏などの記事によって。得ていたのでした。
つまり私はいけばなサイドから美術を眺めてきたというのが正直なところです。
「古いもの、伝統、古典は全部くだらなくて退屈でつまらない」
もの心ついた頃から祖母から繰り返し聞かされた言葉です。
いけばなでも古い歴史を学ぶ必要はないし、
古い型を継承している流派はくだらない。
とイッセイ・ミヤケのパンツを履き、煙草の煙を吐きながら祖母は言っていました。
新しいものだけが素晴らしい。現代だけに価値がある。
これが幼少から最近までの私の前衛観。
<今は平和で戦争も終わったし自由の時代だからね>
というわけです。
繰り返し聞かされたので、ほとんど呪文かお経のようでした(苦笑。
そんな経緯から前衛主義礼賛、現代だけを至高とする価値観は
私の中に30歳近くなるまで根強くありました。
そのくせ、「前衛芸術」について、また「前衛いけばなの成り立ち」について
祖母の話だけで満足して、深く知ろうとしていなかったのは全く片手落ちだったことに
気づいたのはここ10年くらいのことです。
いけばなには歴史があり、他のジャンルとクロスしていきながら新しい展開をしてきた
ことなど知る由もなく。。。
2000年に祖母が亡くなり、私も30を過ぎた頃からそれまでの自分の態度を
疑問に思うようになり、ようやく2008年頃からいけばなの成り立ちや歴史や存在の根拠
を機会見つけて調べるようにしています。
前置きが長くなりましたが、
古典はある程度感触が掴めたので、灯台もと暗しであった前衛いけばなを見直す
べく、三頭谷鷹史著「前衛いけばなの時代」を読みました。
いけばな前衛運動の母型といえば、造園で有名な重森三玲が呼びかけて、
勅使河原蒼風や中山文甫、桑原宗慶、柳本重甫、評論家の藤井好文が集まって、
昭和初期に発表された新興いけばな宣言が知られています。
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(P28)
新興「いけばな」は懐古的感情を斥ける。懐古的な如何なるものにも生きた世界は求められない。そこには静かに眠る美よりない。
新興「いけばな」は形式的固定を斥ける。創造はつねに新鮮なる型式を生む。固定した形式は墓石でしかない。
新興「いけばな」は道義的観念を斥ける。「いけばな」は宗教的訓話ではなく、道話的作話でもない。何よりこれは芸術である。
新興「いけばな」は植物学的制限を斥ける。芸術としての「いけばな」は断じて植物標本ではなく、又植物学教材でもない。植物は最も重要なる素材である。
新興「いけばな」は花器を自由に駆使する。 (以下略)
(P31)
宣言前文には「われわれの『いけばな』は極楽の島の上に、惨めにも取り残された運命的な敗残者の一人だ」などと、激烈な言葉が記されているのである。ある時代には完成した芸術でありえたものが、今は形骸にすぎず、「婦人のみだしなみ」「閑人の芸事」としてあるだけで、「かかる不幸と、かかる冒涜と、かかる堕落から」いけばなを救わなくてはならない、
芸術という言葉がいけばなにとって何を意味するのか重要である。宣言の背景には新興の芸術潮流があり、
その光源として海外の未来派、立体派、表現主義、ダダイズムなどの芸術運動の波があった。
(P32)
例えば未来派宣言などは、言いたい放題の乱暴なものだが、美術館を破壊し伝統に火をかけろといった
反伝統主義で貫かれ現代性にすべての価値をおこうとする立場は鮮明であった。
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今読むと、恥ずかしいくらいにモダンな態度ですが、
改めて祖母の言動の根拠が何だったのか理解できました。
上記に抜粋した姿勢は
いけばなにかぎらず、前衛のアーティストに多かれ少なかれ共有された態度。
反伝統主義こそ前衛。
現代性こそが至高の価値。
新興いけばな宣言は昭和初期のものですが、この理念は第二次大戦後に引き継がれます。
戦後の反伝統主義を謳った人々は、戦争が終わり、徴兵にも空襲にもおびえず生きる事の できる世界を謳歌する気運も後押ししたのではないでしょうか。
祖母たちのように。
しかし、話は飛びますが、昨年起きた原発事故から、戦後の日本を改めて振り返ると
本当に戦争は終わったのだろうか?という疑問がぬぐえません。
むしろまだ違ったかたちで戦時下と言えるのはないか。
では戦後の前衛芸術のどこに意味を見いだしたら良いのだろう。と考えてしまっています。
この本の後半には著者の三頭谷鷹史氏と下田尚利氏/北沢憲昭氏の対談が2つ収められているのですが、
北沢憲昭氏の発言の中に重要な指摘を見つけました。
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(P264)
私は、さきほども申しましたように近代国家に入れ子のように成り立つ美術という国家を
想定するのですが、
この王国が独立的になればなるほどーつまり、芸術の自律性が目指されるにつれて、
美術は、生命や社会からどんどん遊離していくことになります。
そうすると、美術は、どんどん先鋭的になってゆきますけど、一方で、表現を支える生命力や社会的な力が衰退してゆくことになる。
美術がどんどん痩せ細っていく。
するとそこに危機意識が生まれます、
そして、美術をもう一度、生命や社会の現実に関係づけようという企てが生まれる。
それがアヴァンギャルドであるわけです。
芸術と生活、芸術と社会、芸術と現実を激しく化学反応させることで力を生み出そうと
するわけです。
したがってアヴァンギャルドは、モダニズムが尊奉する芸術の純粋性や自律性とは抵触する
ことになる。
なにしろ、芸術と生活のボーダーを突破しようとするわけですから、ジャンル間のボーダー
も、そのためには平気で跨ぎ越してゆくことになります。
ジャンル間を横断し、あるいはジャンルを解体するような形でアヴァンギャルドは運動を
展開してゆくわけです。
そして、その際の突破口になったのが<私>であった。制度や歴史への断絶の意志をもつ
<私>が、芸術の枠を敢然と越えていったのです。
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反伝統主義で現在が至高であり、かつ生活や社会との繋がりを模索する態度。
反伝統主義だけでなかったのですね。。人生や社会や生活との繋がり!
遅ればせ前衛観が上書きされました。
ピカソが20世紀初頭にアヴィニョンの娘を発表してキュビズムを展開するのですが、
あまりにも現実の世界と離れてしまった反省から、印刷物を使ったコラージュを始めて
現実との繋がりを回復しようと試みたことを思い起こします。
伝統に拘らず、生活や社会との繋がりの回復。といういう部分で言えば
『前衛美術』は歴史の浅いデザインとも相性が良いのかもしれません。
そんなことをここ半年ばかりぐるぐると考えてきたのですが、
今参加している展覧会は、フルクサスのメンバーの一人、塩見允枝子さんが起点になって
いて、次のスペースは若手のサウンドアーティストmamoruさんという流れで始まり、
前衛の展開や現代社会においての可能性を探るような構成になっています。
何だかタイムリー(笑。
いけばなは、花を単に美しくいける技術などではなくて、
美しくいけられた花を通して(透かして)世界のいろいろについて思いを巡らせる。
というのが根源にある意図。というのが私のいけばな観。
この地点に立ち返りつつ、未来の人々や社会のあり方について考えてゆければ。
と思うこの頃です。