故宮博物院で范寛の渓山行旅圖が公開。
待っていました!というわけで3年ぶりに台北に行ってきました(相変わらず弾丸でしたが)
これを見ないで明日不慮の事故や災害にでも会おうものなら死んでも死にきれない
気持ちを何年も持っていたので、細かいことは考えず家人と予定を擦り合わせて
とにかく行ってきました。
范寛は大々的に特集が組まれていて、小さな絵から大作までいろいろと出ていて、試行錯誤
が伺える内容となっており、とにかく私にとっては待ちに待った憧れの作品との対面なので
いちいち感激。。。
なかでも(渓山のつかない)「行旅圖」はしばらく絵の前から動けませんでした。
じっと見ているうちに涙が勝手に滲んできて、
まさにこれは「ネ申(神)」としか言いようのない領域。
もちろん「渓山行旅圖」も素晴らしく、
今まで印刷で見ているだけの印象では墨の黒がもっと黒々とごりごり塗られているかと
想像していたのですが、実際は微妙なグレーの重なり合いで非常に上品でした。
また、
北宋画は三遠法を駆使した大画面。
南宋画は対象の部分を描いて(余白をとって)大きな宇宙観を想像させる。
という見方がざっくりありますが、范寛の絵にも
南宋画のように余白を残した絵があり意外でした。
同じ壁に南宋の巨匠、夏珪の絵が展示されていたことを踏まえると、
范寛は北宋画の巨匠というだけでなく、南宋画のパイオニアでもある。
ということでしょうか。
水墨画は画像や印刷には乗らない(実物とはかなり別物になる)とよく言いますが、
まさに!
わざわざ国境を超えて見に来た甲斐がありました。
と同時に、これだけのものを山水画のパイオニアである范寛がすでに作っているとなると
後続は本当に厳しい。乗り越えようがないじゃんか!(心の叫び)
じゃ、あなたはどうする?と問われているようで、
しかし偉大な作品を前にすると、自分は地べたを這う毛虫のようなもので上を向いて
進んでいくしかない。
改めてそんな気持ちになりました。
今回の滞在は帰路の飛行機が午後の便だったので、
帰国前に急ぎ足で台北市立美術館に。
森美術館でこの年末年始に展示をしていたのを見逃した李明維(リ−・ミンウェイ)
を彼の地元の台湾で見る事が出来てこれも良かったです。
まず入り口のパネルに、彼の思考はブッダのimparmanenceに基づいている。
というくだりがあり、彼の作品に通定している考えが「諸行無常」であると解いたら、
しばしば彼が称号されるリレーショナルアートを彼がどのように
捉えているのかが腑に落ちた感がありました。
作品のヴァリエーションはいろいろなのですが、
私が特にあぁ。と思ったのは、
ピカソのゲルニカの図案を色のついた砂で描いてそれを足で踏んで崩していく。
<砂のゲルニカ>
https://www.youtube.com/watch?v=vqMq0Sc7H8Y
これはヨーロッパの美術はもちろん、チベットの砂マンダラ、龍安寺の石庭、
それから具体の白髪一雄のパフォーマンスなどの東西の文化のコンテキストを
重ねたものですが、
特に、チベットの砂マンダラを引用したのは、中国に侵略抑圧されたチベットと
独立を目指す台湾の人々の精神を重ねているようにも見えて興味深いものでした。
英語と中国語表記のパネルと作品から読み取るしかないので、誤読もあるとは思いますが、
同じアジアで「美術」に携わる者として敬意を持ちました。
故宮博物院が収蔵しているような山水画はもともと悟りの境地を描いて、
鑑賞者がその境地と自分の精神を一体化させて、鑑賞者をも悟りに導くことに
その目的があると読んだことがあります。
ブッダの言葉をベースに持つ李明維の作品もまたそのような文脈を汲んでいる
という見方をすることができて、
今回もまた非常に収穫の多い旅となりました。